仕事で疲れた時は泣くと良い。
疲れていても、涙を流すとリフレッシュするので泣くために映画のワンシーンを見たりしている。今日の朝は起床しても気だるさが抜けなかったので、シンドラーのリストの最後のシーンを見た。なぜなら名作の映画のラストシーンは泣けるものが多いからだ。「黄金のエルサレム」を聴きながら、現代の実際にシンドラーに助けられた生存者たちが登場するのは何度見ても感動する。
ところで、映画に出てくる登場人物はドイツ人だろうとユダヤ人だろうとなめらかな英語をしゃべるが、実際は出自や出身国、出身コミュニティーにより様々な言葉を喋る。場合によっては出身国の多数派言語と異なる独自の言語を喋る場合もある。ユダヤ人と言う一つの民族だけで多様な言語を話す民族は地球上、類を見ない例ではないだろうか。
例えば今年の10月に福岡で行われたポリグロットコンファレンスではイディッシュ語の講演があった。私とイスラエルのユダヤ人とフランス出身のユダヤ人でイディッシュ語でおしゃべりをした。私はヘブライ語がてんでしゃべれない。また、先日投稿したように、スペイン語とヘブライ語や中東の言い回しや単語が混じったラディーノ語で日記も最近はつけるようになった。うまく書けているのかはわからないが、スペイン語にそっくりすぎて、スペイン語を勉強するときに混ざらないか心配なほど混ざりそうな気がする。
今年の秋の初めに訪れたウズベキスタンでもぼちぼちタシュケントのような都会でもシナゴーグがあったと記憶している。古都ブハラではイゾーグというタジク語とロシア語を喋るおじいさんが管理するシナゴーグも訪問した。そこでは伝統的にブホリ語と呼ばれる言語が地域コミュニティーで使われているそうだ。イゾーグおじいさんはイスラム教に囲まれたブハラの街の中で数少ないユダヤ人として、シナゴーグとブホリ文化を守っている。
さらに、実際に私は見たり会った事は無いのだが、世の中にはインドのマラヤラム語をヘブライ文字で書くユダヤ・マラヤラム語やアゼルバイジャンの山奥に住むタート系ユダヤ人のジュフリ語など、出したようなユダヤ系の言葉が存在しているらしい。これほどまでに世界中の様々な地域に行き着いたユダヤ人が土着の言葉と自分たちのヘブライ語をブレンドした独自の言葉を発展させたことは驚愕すべきことだと思う。
私はユダヤ人ではないが、彼ら流浪の民の言語に興味を強く持つのは、どんな土地であろうともどんなに異教徒に囲まれても必死に自分の民族のアイデンティティーを失わない不屈の魂に強く惹かれるからかもしれない。